2017年12月03日

「2017年出かけたこと。」の巻。

M-1始まるまでの30分で書きます!

1.1月 佐賀
恒例の佐賀。用を済ませた後佐賀城歴史館へ。

本末御殿の入口です。
佐賀というか北部九州の正月飾りはしめ縄が多いそうです。

Ornament at the entrance of Castle(1701-1-000019)

そして去年も見た、佐賀8賢人の寸劇。
Play about '8 Wisdoms of SAGA'(1701-1-000020)
島義勇、枝吉神陽、副島種臣。


2.3月 沖縄
職場の契約が3月までなので、2月から就職活動。
3月上旬にようやく決まったと思ったらPCが壊れて復活せず。
新PCを注文したまま沖縄へ。昨年と同じく、お笑い芸人・知念だしんいちろうさんのライブです。

またもオブジェを。
Objet of 'DA-san'(170323-4262)

その日のボード。
Board of Live(170323-4254)

ライブハウスの入口はこんなでした。
Livehouse 'OUTPUT'(170323-4263)

その後、また普天間に移動。サルサバンド・カチンバさんの店に行きました。
昨年の3月と同じく、その日もレゲエとのコラボライブ。
レゲエのDJさんがこっちを覚えててくれて、嬉しかった。


3.4月以降
職場が変わって、今まで週休3日だったのが2日に戻り、生活スタイルも変わって少ししんどくなりました。

1月以降、ドラマ『絶狼』で俳優の弓削智久さんに注目してて、氏が主演を務める静岡のご当地ヒーロー『からくり侍セッシャー1』のDVDを入手したのが4月。
(ハルサーエイカーの3か月前の2011年7月に放送開始でした)

(12/4 22:10追記)
GWは、弓削さんが「絶狼」で演じてた「竜騎士エデル」が好きすぎて、絶狼や牙狼シリーズの衣装を制作している吉祥寺のJAP工房に行ってきたり(ロックミュージシャンの衣装も制作している工房です)。
Costume of EDEL(170505-4422)
(追記終わり)


4.7月 静岡
セッシャー1のロケ地めぐりへ!

ドラマに出てくる実在のお店のご主人・さいとうさんがロケ時のお話をしてくれました(ネット掲載は本人の許可済みです)
「みんな、ここの席に座って撮ったんだよ」と。
IMGP4646

その他、ドラマに登場するいろんな場所をめぐりました。


5.7月 京都へ
京都造形芸術大学の特別講義に潜り込み、映画『NothingParts71』『人魚に会える日。』両監督のトークを聴いてきました。
Entrance of 'Kyoto University of art and design'(170729-4752)

Now on (170729-4750)

新幹線で京都へ行き、奈良線で東福寺まで、東福寺から京阪で出町柳まで、出町からは叡山電車に乗っていきました。
奈良線がいまだに103系だったのに感激!(最近、大阪環状線はついに103系の運用終わったかと)
NARA-LINE(103 series) at KYOTO Station(170729-4717)

NARA-LINE(103 series) at KYOTO Station(170729-4718)


6.8月 静岡へ
「セッシャー1」では、毎年8月1日に駅南銀座商店街で開催される「夜店市」がポイントになっています。
夜店市自体は1981年から続くお祭りなので、今年、初めてですが行ってきました。

5月ごろからついったで交流してたセッシャーファンの方とも会えました。

そして実物のセッシャーと宿敵スプラッシュ星人にも(これを銀塩で撮れてうれしかった)
'SESSYA-1'  y 'SPLASH el Extranjero'(1708-1-000030)


7.9月 熊本天草へ
例年GWに行っていた熊本へ今年は9月に。

(12/4 22:10追記)
去年は震災の為入れなかった熊本市の小泉八雲旧居、1階の一部屋だけ公開されていました。以前見た神棚は落ちていました。
館長さんと八雲の話たくさんできて楽しかった!
KAMIDANA(1709-2-010010)
(追記終わり)

工事の始まった通潤橋。
TSUJUNKYO Bridge(1709-2-010020)

天草・崎津の名産「杉ようかん」の発祥は沖縄である!それは前から知っていたのですが、
沖縄船が漂着した場所に碑があると聞いて、普段とは違うルートをタクシーの人に通ってもらい、その碑を見てきました。
IMGP5304

(12/4 22:10追記)
崎津の「宮下商店」さんの前では、「沖縄から伝えられた」という杉ようかんの由来が書いてあります。
肝心の杉ようかんの実物は、「今日は台風で仕入れが少なくて、売り切れちゃった」とのことで、今年は入手できませんでしたが。
Explanation Board of SUGI-YOKAN(1709-7-020004)
(追記終わり)

丁度台風19号が来てて、1日足止めを食らいました。

(またまた12/4 22:10追記)
台風で1日足止めを食らって予定が1日延び、午後は台風が去って外出できるようになったので、本渡第一映劇で「ケアニン」を見てきました。
3時ごろ行ってみたら、映画館のご主人が「今日は誰も来ないから、もう閉めようかと思ってた。誰かお客さんが来たら、やろうと思ってた」とのことで、コーヒーを頂きながら、ご主人と映画の話とか色々しました。

Poster of Movies at HONDO-DAIICHIEIGEKI in September(170917-5383)

HONDO-DAIICHIEIGEKI(170917-5382)
(追記終わり)


8.10月 沖縄へ
恒例のFEC旗揚げ24周年公演で沖縄へ!
面白かったし、話題の護得久栄昇先生のCDも買って、サインもしていただきました!
IMGP5513

以下の写真は2日目の前説です。(本編は撮影禁止でしたが前説はよかったので)
Greeting before the Show begins(171022-5540)


またも台風21号で1日足止めを食らいました。

===
そして来週再度の沖縄へ!
何とかM-1までに書けました。ではまた!
posted by calicia at 18:56| 空間的彷徨−九州− | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月19日

「残念な中年で悪かったな!」の巻。

すいません今日は書きなぐります!(いつもか)

1.千原ジュニアの最後の便所本『これにて、便所は宇宙である』買ってきた。
正式には発売日は明日なのになぜか今日本屋にあった。
これで便所シリーズ「すなわち」から始まり「とはいえ」「あながち」「はなはだ」「このたび」全て揃ったw
これから読みます!


2.土日で結構辛辣なブログ見つけて。
(あ、リンクを張るとリファラで当サイトを逆探知されてしまうので、すみませんがご興味のある方は検索で到達してくださるようお願いします。)

<おぐらひらく>という方が書いた、以下の2つの記事です。
「話聞*て*ら*る*じ*ん。」
「元*女*ば*ん。ア*サ*ク*****危*の*の先。」
(追記11/20 このタイトルも伏字に変更しました。わかりづらくて恐縮ですが・・。)

他人の人生を、こんな風にラベリングされちゃうわけか・・。
まあ確かに、他人から見ればこのようにラベリングされても仕方ない部分はあるんでしょうと思います。
でもそういわれても「当事者」はその現実を生きなきゃいけないわけですから。

自分なんかも上記ブログの例以上に「残念な」状況で、
(何せ、精神科通いがやっと終わった途端に犯罪にまきこまれる(というか自分から飛び込んだ?)わけですから)
「それは自業自得だよ」といわれることも多かったけど、
前にも書きましたが「自業自得だ」など本人が一番わかってるわけで、
本人にとっては「その自業自得な状況をどう打開するか」が問題なのに。

他人はそりゃラベリングだけしてれば気は楽だわな、と。


3.先日予告編を書いた件の中身が書けない。
記憶の奥に沈んだものを引っ張り上げて言語化するのは(それも、必ずしも楽しいものではなくむしろその逆なので)結構しんどいなあと。

全部写真とかで残せればいいのにとも思うけど、「それを撮った時の感情」とかいうと、やはりどこかに言語化するプロセスが必要になりますし。


4.写真で思い出した話を。

ついったの方にも書いたんですが、佐賀の松原神社の境内内に戦後の引揚者?orどなたかが作ったストリップ劇場があって。
写真に撮らないでいて、2014年1月に佐賀に行ったときにそこに寄ったら、つぶされて駐車場になってた。

その後、ついったのタイムラインでそのストリップ劇場の営業してた頃の写真が流れてきたんですが、
記憶の中にだけあった風景が、可視化されて逆にげんなり。
自分は平気で写真載せてる癖に、見たくないもん見ると不快になる二重基準に気づいたりしました。

(以下追記11/20)
最近って、意識の中にしまっておきたいものでも何でもかんでも写真撮って可視化というか、明るい所に引っ張り出す傾向がありますね(もちろん、可視化が大事な場面もたくさんあるけど)
明るいところに引っ張り出してその結果ひからびさせちゃうというか。
そういうSNSが苦手です。
「ハレとケ」でいうなら、「ケ」だから成り立つ世界もあるのに無理やり「ハレ」の世界に引っ張り出して殺してる。
(追記ここまで)


5.もひとつ写真で思い出した話。

座間で9人が殺された事件、間違いなく裁判員裁判になる(被害者1人に着き1件だから、9件分の殺人事件)。
裁判員って、1事件につき6人でしたっけ?

つまり6人*9=54人が裁判員に選ばれる。。つまり凄惨な写真を見ざるを得なくなる。。

被害者の方には本当に言葉もないです、そして一方でそういう問題があるという事ですね・・。
===
ではではです。
ラベル:Libros 所詮兄弟
posted by calicia at 08:35| ブログについて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月30日

「再会と与謝野晶子と小泉八雲と下剋上とむしなーぐち。」の巻。

日曜日、アルク社主催の「アルク ラーナーズクラブ」というイベントに参加してきました(@両国)。

ヒアリングマラソン等、語学の通信講座を開講してるアルク社が、受講者対象に学習相談に乗ったり教材を直接販売したりするイベントです(いきなりハンガリー出身の英語チューターの方に英語で話しかけられ最初びっくりしたり)。
今回は「言語」に関する特別講師ということで、詩人のアーサー・ビナードさんが来たので行ってきました。

長文になるのでさっさといきます。

1.導入−1か国語しか話せない人
氏が20歳の頃、まだミシガンにいて(だったかな)学校で語学の先生に質問を受けた。
「2か国語話せる人は?」「バイリンガル」「正解。では3か国語話せる人は?」「トライリンガル」「正解。では4か国語話せる人は?」「クアトロリンガル」
「正解。じゃあ1か国語しか話せない人は?」「???」「アメリカ人だよ!」


2.なずずこのっぺ
次に紹介されたのは氏が近々出版しようとしてる絵本、タイトルは『なずずこのっぺ』。
いいながら、「こんな本、買う人いるのかな?」と。

元はアメリカで出版されたカーソン・エイスの「Du Iz Tak?」という絵本。これ勿論英語ではない。というか作中に「英語」は一つも出てこない。
そしてこの本、ドイツ語にも中国にも訳されてる!

絵本の中は、「虫」の世界でした。

そっか。これを「訳する」という作業は、「日本語っぽい虫の言葉を探す」ことなんだなあー。
「セイフティネットのない翻訳作業」と言ってましたがまさに。

最初、ある受講者に「これ何の言葉だと思います?」と尋ねたら「日本のどこかの方言ですか?」と答えてたけど、
ビナードさんも自分で「アイヌ語に近い。。かな。あるいは津軽弁とか」と言ってました。

また、「「虫の言葉」なら「むしなーぐち」と呼んでもいいかも。」とも。


3.The Nonsense Show
エリック・カールという詩人の「The Nonsense Show」という絵本。
これの和訳タイトルがうまくみつからないから、みんなで考えて!というもの。
中身も全部朗読してくれました。

猫がネズミに追いかけられたり、犬小屋に住んでた人間が犬に追い出されて月に飛ばされたり、まさにナンセンスの塊。

受講者もすごい積極的で、思いついた和訳タイトルをどんどんホワイトボードに書いていきます。

「わかんないでショー」とか「めちゃくちゃでショー」とか「ありえないでショー」とか。
やはり、原題の「Show」に引きずられがちなようです。

ビナードさんは、「「でしょう」はなるべく使いたくない、そのダジャレの誘惑には勝ちたい」と言ってました。

私は「Nonsense」に引きずられて「荒唐無稽なものたち」てのを思いついたんだけど、発表はしなかった。
「でしょう」は「推量」で使う言葉。一方絵本の中で見た「Show」は私が見た「現実」だから、「でしょう」は使えないんじゃないかと思った。

でももっと大事なことがあったのに気づけなかった。
ビナードさんは、ホワイトボードに上がってた「あべこべ」に着目して、
「「あべこべ」をもっと政治的に言うと?」と問いかけてみんな答えられなかったんですが、
これに出てくる動物たち人間たちみんな立場が通常とあべこべ、つまり「下剋上」ですね。
エリック氏も(だったっけ?)「この逆転には意味がある」とコメントしてた、つまり一種の社会風刺なんだと。

で、「ただ言葉を覚えるんじゃなくて、そういう構造を見抜け」というのが今日の氏の趣旨だったんだなーと。

辞書はあくまでも「定説」を書いてるだけだから、
例えば「希望の党」とか聞いて「希望」に関して辞書ひいても、実情と乖離した事しか書いてないよーとか。
そういえば「共産党」も「新自由主義」も。

===
話ずれますがエリック・カールは「はらぺこあおむし」の原作を書いた人だそうです(原題「The Very Hungry Caterpillar」)。

訳者のもりひさしさんがタイトルに「はらぺこ」とつけた時、出版元の偕成社は大反対したとか。
「はらぺこ」という語が、戦後のひもじい時期を連想させ、下卑た言葉だからという理由で。

でももりひさしさん自身も元は陸軍の兵士で、餓死寸前で線路わきで倒れていたところを救われた人。「はらぺこ」がどんな悲惨であるかを身をもって知っている人。
だからこそ、そんな人があえて「はらぺこ」という語を選んだことに重みがある。

今は逆に、「はらぺこ」にそんな悲惨なニュアンス感じないもんなー。まさに会場からも「「はらぺこ」といえばかわいいイメージ?」なんて意見が出てたように・・。

ちなみに「The Very Hungry Caterpillar」も各国語に訳されてますが、
原作者のエリックさんが一番気に入ってるのがこの日本語版の「はらぺこあおむし」、とのことです。


4.質疑1−出世軍人健康祈願の碑
トークは一応終了してここから質問タイム。

私がずっと購読してたアルク社の『マガジンアルク』はこの夏休刊になり、ビナードさんの連載も読めなくなってしまったわけですが・・。

会場からの質問「雑誌は休刊しちゃったけど、今コラム用のネタで持ってるのは?」に対し、氏が挙げたのが八丈島で見つけたという「出世軍人健康祈願の碑」。
これは日露戦争の頃のもので、その頃は1930年代の「お国のために死ね」とは明らかに違った倫理があった、という話。

そこから与謝野晶子の話へ。日露戦争の頃に「君死に給うことなかれ」とうたい、御用学者の大町啓月に「太陽」上で大批判された話。

・・・それにしても、いくら「文学の専門家」とはいえ、造詣の深さに驚嘆!


5.質疑2−今訳したいもの
日本で氏が書いた絵本「ドームがたり」の英訳の依頼が来ていて、タイトルどうしよう、という話。
広島の原爆ドームが、自分の1945年8月6日の前から後まで、自分の歴史を語るという絵本です。

「トイ・ストーリー」てのもあるから「ドーム・ストーリー」でもいいか、とか、
「ドーム・トーク」だとおしゃべりのニュアンスになるから対話がほしくなる、とかそういう話でした。


6.瑞浪!
あー岐阜県瑞浪の最終処分場の話もしてた!


7.サイン会
終了後はサイン会。
今回、著書も新しく入手しましたが・・。

この記事で書いたように、去年川越に来てくれて、
その時にもサインを頂いていたので、それも持参しました。

(参考:その時のブログから引用)
私は以前から雑誌の氏のコラムを読んでたんで、「これも読んでます!」と雑誌を見せたらすごく喜んで、
雑誌の方にもサインしてくれました。嬉しかった!


その雑誌を再度持って行ったのです(それがまさにこの夏休刊になった『マガジンアルク』です!)。
そしたら去年書いたサインの脇に「またお会いできてうれしい!」と書いてくれてこっちもうれしい!

そのコラムは丁度「東電の社名が「東京電力ホールディングス」になっちゃって3.11の訴訟関係の書類も全部書き換える必要が出て大変!」というテーマでした。
「「東電」の看板の上に新社名「東京電力ホールディングス」が塗られたけどうっすら「東電」が残ってるよ」を示す写真が印象的だったのですが、
ビナードさんに同行してその写真を撮っていたご本人にも会えて感激!


8.ミシガン
以前「うちの伯母夫婦は国際結婚して(アメリカだったころの)沖縄に住んで、その後アメリカに住んだ」と書きましたが、そのアメリカでの居住地が、氏の出身地ミシガン州でした。
なので、「そんな縁で私もミシガン州行ったことあります!」なんて話もしちゃいました。
ミシガンは自動車工業と化学工業と原子力工業の街。

ビナードさん、沖縄の高江の問題にも取り組んでるし、なので本当は「伯父は沖縄で空軍にいた」話もしたかったんですが、やはり、いきなりそこまで唐突なカミングアウトはできませんでした(苦笑)


9.帰りの電車で
帰りの電車で、今回入手した本を読み始めました。「マガジンアルク」のコラムをまとめたものです。
連載をずっと読んできましたが、単行本としてまとまるとまた別の味わいがあります。
またも与謝野晶子が出てきたり、あと、氏に興味をもつきっかけとなった「小泉八雲に関する考察」の文も掲載されていて、改めて読んですごく嬉しかったです。
===
まあそんなこんなです!
長文読んで頂いた方、もしいたらありがとうございます!あ”−70分で何とかドラフトだけ書けた!
ラベル:Libros 小泉八雲
posted by calicia at 13:38| Comment(1) | ことば | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月29日

「闇に吠える?」の巻。

今日は雑談で。

先週、演芸集団FECの旗揚げ24周年記念公演で沖縄行ってきました。
1日目だけ見て日曜の便で帰るつもりでしたが、丁度台風が近づいていたので、金曜の時点で
「どうせ日曜日は欠航になるな。だったら2日目も見よう」と思って月曜の朝の便に変更し、
公演は結局2日とも見ました。

例年は1日目と2日めで内容が同じだったので、
今回も「土曜の分だけ見ればいいか」と思って、当初日曜の便で帰る予定にしてたんです。

が、今年は土日で全く内容が違ったので、結果的に両方見れてよかった。
日曜の夜の便、実は欠航にならずに飛んだらしいですが、まあ結果オーライで。

で、今度は月曜朝の便が飛ばない可能性が出てきた。(羽田が台風で着陸できなくて)
なので、月曜の「うんと遅い便」に変更した。

==
月曜になったら、全部の便が飛んでるではないか!
そこで「少しでも早い便に」と思って、「うんと遅い便」の1本前の、夕方の便に変更した(その前の便はすべて埋まっていた)。

まあ夕方17時出発のはずの便も、羽田の方が混雑してて、那覇を離陸したのは19時でしたが。

===
相変わらず携帯(ガラケーもスマホも)もタブレットも持ってません(笑。
そんな状況で一昨年の冬にチリ行っても特に困らなかったので自信(?)がついて、今も持ってません。

その分、旅先の街のネットカフェ探すのが楽しみになってきました。

まあ、本来は、「旅先でまでネット見る必要」さえないんですが。。
月曜とか、夕方の離陸の時間まで時間あったので、ネットカフェで前日の村田諒太選手のWBA世界ミドル級タイトルマッチの試合をyoutubeでフルで見ちゃいました。

===
一昨年のチリでのことをこのブログで4月に書いたりして
自分でも、なぜそんな時間かかるのかと思ってた。

多分、「経験を無理に言語化してしまうのに恐怖があった」んだと思う。
1回テキスト化することで捨象されてしまう当時の感情とかニュアンスとか。
で、テキストを一度作ってしまうと、経験そのものでなく作ったそのテキストに縛られでいくのが怖かったんだなあー。

とか言ってても、どんどん忘れていくばかりなので、ついにこのブログに書いてしまいましたが。

==
まあそんなこんなで今日はこの辺で!
ほんと、人のいないところで吠えてるのって爽快で(笑)
posted by calicia at 13:01| 空間的彷徨−沖縄− | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月01日

「9月までに観た映画のタイトルメモ。」の巻。

前回「予告編のみ」と書いた分、本編をまだ書いてませんでした、すいません。
といいつつ、今日は別の話を書きます。

もう10月になってしまった。季節もいい!ってことはまた「着物を出して風にさらす」のをやらねば。

今月は恒例のFECの旗揚げ公演で沖縄行き!楽しみ!
でも今年は去年までのように休みを気軽にとれないから、2日目のを観ずに帰らねばならない。残念!

例年GWにやってる熊本・天草旅、今年は先々週行ってきました。
それもまたここに報告しようかと思いますが、今日は別の話を。

====
今年も結構(私にしては)映画観てる方かと思います。
忘れないうちにメモを(カッコ内は見た回数です)。

1.1/13 渋谷ユーロスペース はるねこ(5)
2.1/25 新宿ピカデリー 新・ミナミの帝王
3.5/21 新宿武蔵野館  皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ(3)
4.5/26 ヒューマントラストシネマ有楽町 皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ(4)
5.6/1  ヒューマントラストシネマ有楽町 皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ(5)
6.6/7 新宿武蔵野館  皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ(6)
7.6/14 新宿武蔵野館  皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ(7)
8.6/16 横浜シネマジャックアンドベティ はるねこ(6)
9.7/5  ヒューマントラストシネマ有楽町 ローマ法王になる日まで
10.7/29 京都造形芸術大学 人魚に会える日。
11.9/5 渋谷ユーロスペース 米軍が最も恐れた男 その名は、カメジロー
12.9/17 本渡第一映劇 ケアニン
13.9/27 新宿武蔵野館 PATERSON

やっぱり集中的に「ジーグ」を観てたのが目立ちます(笑)

先週『PATERSON』観て、
主人公パターソンと、映画『NOTHING PARTS71』の主人公の一人「智一さん」の生活スタイルのある部分に共通点を見出しました。
かつ、それが私の生活様式とも共通だったので、
嬉しくなってしまいました。

===
まあそんなところです!
ではでは。
posted by calicia at 08:16| その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月03日

「骨組だけでいつ肉をつけるのかわからない予告編。」の巻。

予告編というか、予告したまま書き足さない気もします。


1.関東大震災といえば、うちの曾祖母の避難話もある。
母や祖母から聞いた話で、曾祖母から直接聞いたんじゃないですが。


2.731部隊関連の事で、これはぜひ、同時期に満州にいたうちの母・祖母のことを書かねばと思ったんですが。
731部隊は生物化学兵器ですが、八百三十いくつだったか、物理兵器の部隊もありまして、それはうちの祖父が属してた。

それにまつわる母や祖母とのことというか思い出というか、
そんなのを人に言うという発想は今までなかったんですが、
最近はこういうことをこういう場に書いといてもいいんじゃないか、という気がしてきた。
誰かに言わないと、というかどこかに残しておかないと、自分が消えたらその事実はなかったことになってしまうので。


3.上記2.は母方のことですが、今度は父方の話です。
父の姉は戦後日本に駐留して来た米国軍人と結婚して「当時アメリカだった」沖縄に住んでた。

沖縄の本土復帰後は立川基地(現在の昭和記念公園)に住んでた。一度だけ立川基地に遊びに行ったら、どういう手続きなのか、中にいれてもらえたことがある。
中で食べたレモンパイがおいしかった。
なんか米軍基地はレモンパイの思い出とともにあります。

だから、米軍基地は「中に入れるもの」と思ってました(恥)

就職して、沖縄出身の方と仕事した際に、「米軍基地?入れるわけないでしょ!」と、
半ば「そんなことも知らないのか」的に言われた時に、
「じゃあ自分はなぜ入れたのか?」と思った。

で、その頃は多摩地区にもA&Wがありました。立川とか横田とか。

===
予告編だけでそれ以上膨らませずに終わりそうですが、
特に2、は、うちの祖父がいた部隊の番号を調べなおそうとして
ちょっと止まってるんでいつ本チャン書けるのか、という感じです。

まあそんなところで失礼します。

関連過去投稿:
A&Wの件:もう沖縄へなんか行かない?
国際結婚した身内の件:本人に確かめなきゃ。
その他:「あなたがいたから僕がいた2013」の巻。
posted by calicia at 23:51| Comment(1) | 時間的彷徨 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月07日

「内政と外交、じゃない、内省と外向」の巻。

あー人のいないところに来るとホッとする!

今年のGW、恒例の熊本に行けなくてイライラしてた。旅、というか移動の衝動が抑えられなかった。
で、この7月、「映画に関する講義」を聴くために日帰りで京都に行き、
その3日後に「ヒーローのおっかけ」で静岡で1泊。
その3日後に今度は東京都豊島区でヒーローのおっかけ(これは旅ではないw)

いや−もうぶっちゃけますと、家庭の問題も例の事件もこの1〜2年くらい全然進展なしで
そのことを考えてると真面目な話「憎悪の塊」になってしまう。

以前もこのブログで書きましたが人を憎み続けるのってほんまエネルギー消耗するから
何か常におもろい事考えてないとおかしくなる。
ある意味「身を守る(自分の精神状態を保つ)」部分もあって、
このようにしょっちゅう移動して外交、じゃない外向してるわけです。

まあそんなこんなです。
今日は写真もなしですがシャレシャレSNSでもないからなくてもいいですよね(若干キレ気味かw)。

ではでは。
posted by calicia at 00:45| 事後処理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月29日

「硝石工場、汚染、スタバ。」の巻。

前々回のエントリで、「チリの廃・銀工場のはずがなぜ硝石の展示施設に?」と自分で書いたまま宿題にしてたんですが。

今日はその件と、その他色々チリ旅行で思い出したことを書きます。


1.硝石工場の件
(1)
前々回の記事の写真を見ると、「銀工場ウアンチャカは1873年に開山、1902年に閉鎖」とあります。稼働30年弱です。

例の『チリ嵐にざわめく民衆の木よ』を見ると、「十九世紀、ヨーロッパ諸国が肥料として硝石を大量に輸入しはじめると、チリで硝石ブームが起きた。パンパ(チリ北部の砂漠地帯)は世界第一の硝石産出地帯となった」」とあります。
ウアンチャカのオープンしていた時期と重なっています。

この本は、アントファガスタより北部のイキケ(2014年4月に震災のあったところ)での硝石工場及び銀工場サンタロサ銀山に触れています。
銀工場では血のにじむような重労働と搾取があったと。
イキケの近くのマルーシアの硝石処理場でも1920年代末に共産主義者への弾圧と虐殺があったと。

この本ではアントファガスタの銀工場が閉鎖された理由には触れてないんですが、
パンパはアントファガスタまで続いており、
「パンパの「硝石」をめぐってボリビア・ペルー連合軍とチリが1879年から1893年にかけて戦争した」
とのことなので、
アントファガスタでも銀と同時に硝石産業が栄えていたことが推測できます。
(余談ですが、その戦争でチリが勝ってボリビアは海につながる口をなくすことになる)

(2)
なので、今から思うと、
ウアンチャカの展示施設ではアントファガスタだけでなくパンパ全体の硝石産業を紹介してたんだな、と。

そしてこの展示施設ではイキケの近くのピサグアの展示もあった。
ピサグアには、ピノチェト政権時、及びそれより前の1946年のビデラ政権の時にも使われた収容所がある。
あと、チャカブコの写真もあった。これも確か元は労働者の寮(的なもの)だけど結果的に収容所として使われた(と思う)。

・・・て推測ばかり書いてますが、
多分この展示施設、ウェブサイト持ってると思うので、時間あったら見てみます!


2.アントファガスタの街で
ウアンチャカを訪れた日の前日は、例のラ・ポルターダを訪れてました。
が、午後ヒマになったので、一人で街を歩いてました。

ホテルから中心部の方に向かうと、こんな看板が!
'Basta de Contaminacion'(1512-5-040021)
「汚染は沢山だ!」

その道をまっすぐいくと、建物に落書きと怒りの言葉が!
Ese Edificio(1512-5-040023)

Un Mensaje(151225-2500)
「この建物も、ここに住む人々も港のせいで汚染されてる」

そしてこの建物の他の面に回るとこんな言葉が!
'FUERA MONSANTO'(151225-2503)
「Fuera Monsanto!」=モンサントは出ていけ!

そういえば、この街ではスタバを見かけなかった!

この建物の上部にはこんな幕が。
Building along 'URIBE'(1512-7-010035)
細かいですが、「これ以上<毒(というかどくろマーク>をアントファガスタの港に集中させるな」

一方、この道に並行した道には新しいショッピングモールが。
Mall and Railroad Crossing(1512-5-040024)

しかし、この写真に見えている踏切を反対側から見ると、何と日本語の「死」の落書きが!(撮ってるとき気づかなかった。現像して気づいた)
Paso a Nivel(1512-3-020002)

何かこの街の「闇」を見た気がしました。

帰り道、行きと並行する道を歩いてたら、2009年にできたという新港のモニュメント。
Monument of 'NEW PORT'(1512-7-010032)

あ”〜、だから新港の工事でこの周辺の環境が汚染されたってことでしょうか。
何の物質による汚染かはわからなかったんですが。


3.スタバは
アントファガスタでスタバを見かけなかったのは「たまたま」だと思います。
徒歩と、ガイドさんの車移動の範囲で見かけなかっただけなので、、他のエリアにはあるのかも。

実際、首都サンチャゴにはあったし(写真とらなかったけど)
あと、リゾート地ビーニャ・デル・マルにもありましたし。
(あ〜、走り去る車から撮ったので、木に隠れて見えづらいですが)
Starbucks at Vinna del Mar(1512-13-020021)

あ、そうそう例の『チリ嵐にざわめく民衆の木よ』によれば、サルバドール・アジェンデの墓はビーニャの近くらしい。
でも墓標も掲げられず、もちろん、私たちみたいな旅行者にも知らされない。
その本によると、未亡人が何度も墓標を掲げたのに、翌日にはすぐ当局に外されたのだとか。

===
あ、何かウアンチャカの銀工場と硝石工場にはあまり踏み込めず、結局ただの羅列になってしまいましたが、
突然思い出したので、忘れぬうちにと思って書きました。

ではでは。
posted by calicia at 12:42| 空間的彷徨−海外− | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月15日

「意味のないことを愚直に10年間続けてきた。」の巻。

うんやっぱこんな日は闇に向かって吠えるに限る!

4月から新職場になりました。
今までは週休3日制だったのが2日制に戻ったことで生活サイクルが変わり、
まだちょっと慣れてない感じです。

というか、土日しか休めないのがほんと大変。
「みんなそうなんだから」と怒られそうだけど、今はもっぱら土日は体調回復にあてているので、
しばらくは、今までのようにアクティブには動き回れないなあ。

あと、週休3日制時代は「平日に仕事以外でやるべきこと」をこなせたのが結構よかったので、
それができなくなった分、今は時間配分が大変です。

===
愚痴はさておき、本題です。
2008年廃駅となった「口之津」駅(長崎県は島原鉄道 加津佐海水浴場−島原外港間にあった駅)を、2008年以降、毎年撮りに行くというのをやってきました。

最初に口之津を訪れた2007年のGW時点ではまだ運行していましたがその時は豪雨のため写真撮れず。
2008年4月末で廃止になったのですが、それを知らぬ私が訪れたのはその直後のGWでした。

以降愚直に2016年まで撮ってきたものを、本日一挙放出します。
なお、2007年から2011年の経緯はこちらの記事により詳しく書いています。

2008年。
Railroad at Kuchinotsu Station

2009年。
Rail and 'Board of Station' already removed.(20)

2010年。
EX-Kuchinotsu Station(1005-10-040016)

2011年。
Marks of Railroad(5-040007)

2012年はちょっとズレた地点で撮っていました。
Ex-Kuchinotsu Station(10-040009)

2013年。
EX-KUCHINOTSU Station(1304-9-030021)
完全に、島鉄バスの駐車場的な使われ方になっています。

2014年。
Ruins of Platform at Ex-KUCHINOTSU Station(1404-9-030015)

2015年。朝はまだ天草にいて、いつもの牛深ハイヤ大橋や崎津天主堂を見てから島原半島にわたったので、こんな夕刻になりました。、
Ex KUCHINOTSU Station(1504-9-030006)

2016年。熊本地震のため熊本行を6月に延ばし、帰りに寄りました。丁度このころ、熊本も長崎も豪雨。辛うじて写真は撮れましたが。
Ex-KUCHINOTSU Station(1606-11-000026)

===
まあ全くSNS映えしないというか、こんな意味のないことを愚直に10年もやってしまいました(笑)
「いいね」なんて概念とは無縁の世界でやってました。

===
関係ない話ですが、今後、仕事とかは正直どんどん人工知能にとってかわられると思います。
それで人間の仕事がなくなったり、問題は色々あると思いますが、
となると人間側に残る楽しみ&強味は「いかに意味のないことをやるか」じゃないのかな〜、とか勝手に思ってます(←結局自己肯定か(苦笑))

ではでは。
ラベル:のりもの
posted by calicia at 13:20| 空間的彷徨−九州− | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月10日

「捨てられた銀工場にて「君アジェンデ知ってる?」と尋ねられた」の巻。

突然ですが、
2015年のチリ旅行談、すごい大事だと思うあまり、ずっと書けなかったことを今日書きます。
相変わらず論理的じゃなくメモ的だけど、早めに書かないと忘れそうなので。

1.見捨てられた銀工場ウアンチャカ1997年
アントファガスタの近くのラ・ポルターダのことは何回かふれました
アントファガスタの南6km、1873年創建の銀工場ウアンチャカについては今回初めて触れます。
創建から10年程度で閉鎖されてしまったとのこと。

HUANCHACA(9709-6-001056)

HUANCHACA(9709-6-001053)

HUANCHACA(9709-6-001055)

1997年に初めてここを訪れたときは、遺跡の上の方まで上り、下を見下ろすこともできました。

HUANCHACA(9709-6-001057)


2.ウアンチャカ2015年
18年ぶりの2015年、チリを再訪した時、ラ・ポルターダと合わせてぜひここも訪ねたいと思ってました。
というのも、2010年と2015年にチリも大地震を経験して、その後を見たかったからです。

1997年の時は自由に入れたのに、2015年は「国定公園」のようになっていて、
展示施設もできていました。
(出発直前、「その公園施設が12/25はクリスマスで閉館」とわかり、急きょ予定を変更して12/26に訪れた)

一見変わらない外観。
HUANCHACA(1512-9-030022)

HUANCHACA(1512-9-030010)

展示施設。
Entrance of Huanchaca(1512-8-020022)

でも、廃墟の上の方まで上ろうとしたら、
車で待っていたガイドさんが私を見上げて、「おーい、戻ってこーい!」と怒られちゃいましたw
え”、平気で上ってるフランス人もいたのに。

確かに、下からは見えないけど、地震の影響で上の方結構崩れてるので、そのため立入禁止みたいです。


3.君、アジェンデを知ってる?
遺跡に上ろうとする直前まで、先に展示施設を見ていました。
ここでも書いたけど、ガイドさんはクロアチアからの移民で結構高齢。

(そういえば、ガイドブックにも1997年時点での説明板(上記写真)でも「銀工場」とあるけど、
 ガイドさんは硝石工場っていってたのを今、突然思い出した。
 なぜ銀工場が硝石工場に?いつか調べよう)

施設の入口に、この遺跡の概要を紹介するビデオが見れるようになってました(スペイン語/英語)。
ナレーションの中に「アジェンデ政権時代に」とあったからか(「本当にそういうアナウンスがあったか」についても、今となっては定かではないんですが)、
映像を見てる私に、ガイドさんが突然「君、アジェンデを知ってる?」と尋ねてきました。

なのでもちろん「知ってます」と答えました。
(でも正直、その時点では全く勉強不足だったので、それ以上会話できなかった。
 その分、去年、例の映画『チリの闘い』がらみで、同じ監督による『サルバドール・アジェンデ』を見ることになるのですが)

展示施設内はこんな感じ。
Museum HUANCHACA(1512-9-030003)

この写真の後方に見える壁の部分に、この工場の歴史が年表で示されています。

その年表を見ててふと気づいたことがあって、私はガイドさんに尋ねました。
「この年表、1973年(9.11、クーデターが起きてアジェンデ政権が倒れた年)及び1989年(ピノチェト政権が倒れた年)が抜けてますね。」

するとガイドさんは
「さあ。。それは政治の世界で、こっちは経済の世界のことだからね」と答えました。

(あー、載ってなくて当たり前かー。アホな質問しちゃったなー。)と、その時は思いました。

でもこうも言ってました。
「まあ、ピノチェトの側近とかで、硝石関係で私腹を肥やしていた者は、
 (1989年に政権が倒れたことで)そういうことはできなくなったんじゃないか?」
(↑・・すいません、本人の言葉の記憶に、かなり私の「解釈」を足してしまってます)

「ピノチェトが倒れて、色んなことがだいぶよくなったんですよね?」と尋ねたら、
「さあ。。どうかな。あまり変わらないね」


4.その後&帰国後に思ったこと
その後展示施設の外に出て、遺跡の方の写真を撮るのに専念してしまったので、この会話はこれ以上続きませんでした。

「独裁者ピノチェトが倒れてハッピーエンド!」ではないことは、
『チリ 嵐にざわめく民衆の木よ』(著・高橋正明、大月書店、1990年)を読んで「知識」として知ってはいましたが、
こんな風に肉声で聴いたのは初めてでした。

ご高齢のためか、その方の発話はスペイン語も英語も時々聞き取れない点があり、
それ以上話を発展させなかったのですが、
もうちょっと頑張って、色々聞いてみればかったかなあ。

だって経済の世界と政治の世界ってやっぱりリンクしてるし!

・・そんな後悔があったので、日本に帰るお土産にアジェンデの本を買ったし、
去年は『チリの闘い』を頑張って観たわけでして。

そして、昨今のうちの国の状況見てて、
「かつて、かの国でも<独裁者>が好き放題やってた。これはここで書いとかないと、忘れてしまう!」
と思ったので、今日突然思い立って書いたのでした。

終わります!48分で書けた(笑)
posted by calicia at 12:53| 空間的彷徨−海外− | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月02日

「転職ブルー。」の巻。

1.
新年度を迎え、明日月曜日から新職場。
この3月まで5年間いた職場がいろんな意味で環境良すぎたので
これから新しい環境でやっていけるのか不安です。

今までこんなことは何度もあったはずなのですが、
今回は特に不安度が大きくて、「マリッジブルー」に似た感じの「転職ブルー」。


2.
しかし3月の、いろんな決まり方のタイミングもすごかった。
転職活動、2月は結構落ちまくってて、3月第2週でいきなり決まって
そしたら3月第3週でいきなりPCの電源が入らなくなった。

修理しようにも、もう部品も販売終了となっていて、もうPCは生き返らないことがわかった。
データ復旧業者に頼んでとにかくデータだけ引き出してもらい(それでも6万!)、
別途、新PCを購入予約。

もともと4/11でVistaが終わるから、いずれにせよPC買い替えか、あるいは現行PCをLinuxにして使おうかなと思ってたとこでした。
(でも、LinuxにするとWindowsベースでのデータとの互換性に不安があった)

それにしても、もし履歴書ばりばり書いてる最中にPC壊れてたらどうなってたんだ?と思います。
それに、もともと3月丸々1か月有休消化の月だったので、こういうアクシンデントがこんなヒマな期間に起きたのは幸いでした。

PCが届くのを待つ間も、お笑いライブで沖縄行くし(笑)
で、丁度帰ってきた日にPCも家に届いて、早速セットアップして。


3.
3月最終週は「有休消化最後の週!」ということで色々心残りだったことをやりました。

その中でもデヴィッド・ボウイ展に行ったのですが、
ついったの方に書き忘れたことをこっちに。

「戦メリ」のクライマックスシーンの、ボウイが教授をぐぐっと抱きしめるシーンで、
突然動きが「カクカク」となるんですが、
「あれはフィルムの(?)事故だった」ということ。
(最終展示ゾーンの、教授とビートたけしの談話でわかる。
 教授とたけしの双方に、違う場で話を聞いたものですが、これに関して2人とも「あれは事故でしょ」と言っていたのが興味深い)

IMGP4324


4.
あ、最後はすいません個人的メモです。
最近ハマっている『絶狼』に関するインタビューです。
(忘れそうだし、ついったのタイムラインだと流れてしまうので、ここにリンク集作っておく)

【絶狼で再共演】弓削智久と芳賀優里亜が振り返る 仮面ライダー龍騎&555の時代

『絶狼<ZERO>-DRAGON BLOOD-』好評放送中!零&烈花&カゴメ&エデル スペシャルインタビュー!!


5.
あー明日が来なければいいのに!ひっさびさに、仕事に行きたくない恐怖!(苦笑)
ではでは。

<追伸>
福岡の「篠崎酒造」さんの「甘酒アイス」に、同じ篠崎酒造さんの「あまおう梅酒」をかけて食べたらめちゃおいしかった!(証憑としての写真は載せませんがウソじゃありません!)
posted by calicia at 07:05| 仕事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月05日

「育った町定点観測。」の巻。

例年12月29日、自分の育った町(23区内)を訪れるんですが、
写真がたまってきたので、めぼしいところをちょっと比較してみます。
これ、調べればどこだかバレちゃいますが。

よく飲み物とか日用品とか買ったり、写真のDPE依頼したり宅配便出したりしてた酒屋さん。
2013年12月29日。閉店してました。
2012年時点で既に閉店してたのかもしれませんが、2012年の写真がすぐ出てこないので2013年の写真を使います。
Old Liquor Shop that I frequentary used(131229-0802)

角にあった金物屋さんも閉店してました。
IMGP0803

そして2016年12月29日。
酒屋さんはアパートになってました。
IMGP4011

金物屋さんも更地に。というか今写真比較してて改めて気づいたけど、その背後にあったマンションもなくなってる!
IMGP4012

ちなみに2013年時点で既に閉まってた郵便局。というか黙ってると郵便局とわからない(笑)
元々木造の郵便局だったのを建替えて、この建物で営業してたんですが・・。
IMGP0808

2016年に訪れても、やはり閉まってました。
Formerly,this building was Post office(161229-4024)

だから何だ?という話ですがこの辺で。
posted by calicia at 08:54| 空間的彷徨−首都圏− | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月15日

「2016年観た映画をリストアップする。」の巻。

気温が低くて天気もよいから着物の風通しをしながらさっきこのブログ原稿書いてた。
油断して、保存しないまま離席してたらPCが固まってしまって!

原稿全部消えた!
頭きたので書き直しますが、さっき冒頭で書いてた「前書き」的なものは省略(笑)。

昨年見た映画のリストです。
普段ぜんぜん観ない私にしては、結構観たな、と。
「チリの闘い」がらみで、パトリシオ・グスマン監督作品を中心に見たのが大きかったです。
(グスマン監督作品は、2015年「光のノスタルジア/真珠のボタン」も見てますし)

どこで見たかも大きいので、映画館名も書きます。
あと、カッコ内数字は「何回目に観たか」です。

1.4/1 川越スカラ座 光のノスタルジア(2)
2.4/1 川越スカラ座 真珠のボタン(2)
3.4/29 有楽町朝日ホール 皆はこう呼んだ「鋼鉄ジーグ」
4.5/4 有楽町朝日ホール 皆はこう呼んだ「鋼鉄ジーグ」(2)
5.6/25 天草・本渡第一映劇 東京物語
6.6/26 天草・本渡第一映劇 うつくしいひと
7.7/17 渋谷ユーロスペース FAKE
8.7/17 渋谷ユーロスペース 地球に落ちてきた男(多分2)
9.8/25 アテネフランセ文化センター サルバドール・アジェンデ
10.8/25 アテネフランセ文化センター チリ、頑固な記憶
11.8/26 アテネフランセ文化センター ピノチェト・ケース
12.8/28 横浜シネマジャックアンドベティ M/OTHER
13.9/3 横浜シネマノベチェント NothingParts71(8)
14.9/12 渋谷ユーロスペース チリの闘い第1部 ブルジョワジーの叛乱
15.9/12 渋谷ユーロスペース チリの闘い第2部 クーデター
16.9/12 渋谷ユーロスペース チリの闘い第3部 民衆の力
17.10/9 横浜シネマリン 真珠のボタン(3)
18.10/9 横浜シネマリン チリの闘い第1部 ブルジョワジーの叛乱(2)
19.10/9 横浜シネマリン チリの闘い第2部 クーデター(2)
20.10/9 横浜シネマリン チリの闘い第3部 民衆の力(2)
21.10/28 新宿K'sシネマ アルジェの戦い
22.11/17 渋谷ユーロライブ はるねこ
23.12/17 渋谷ユーロスペース はるねこ(2)
24.12/25 渋谷ユーロスペース はるねこ(3)
25.12/28 渋谷ユーロスペース はるねこ(4)

11月以降「はるねこ」が多くなってますが、
これは9月の横浜シネマノベチェントでの「NothingParts71」上映会の際、
はるねこを監督した甫木元空監督が客としていらしていて、
最後に「12月に、ユーロスペースで「はるねこ」という作品を上映します」と挨拶があり、
その後に作品のフライヤを手渡しで頂いて、興味を持ったのがきっかけです。

フライヤ読んだら、キャスト欄にりりィさん(この時は他界されるなんて思わなかった)とか
田中泯さんとかあって「これは絶対おもしろい!」と思ったので・・。

9/3に横浜でフライヤ入手して、9/12にユーロスペースで「チリの闘い」観たら、予告編タイムの冒頭に「はるねこ」の予告編流れて、「おお、やっぱこれは行かねば!」と思ったのを思い出します。

実は、年明け1発目も再度「はるねこ」見てきたばかりだったりして・・。

というわけで、何とか文章復旧した(まったく同じ文にはならなかったけど)。
ではでは!
posted by calicia at 17:48| カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月04日

「caliciaを捨てて街に出よう2017!」の巻。

あけましておめでとうございます!
今年もよろしくお願いいたします。

あと10分で出るので10分で書く!

今週末、毎年恒例の佐賀に行くんですが、毎年1月第1週にやってきて、今年で22回目です。
地震とか天災とかあるなか、もうこうなってくると毎年続けられることにも感謝です。

私はモバイル系端末を一切持たないので、出かけてる間は「caliciaを捨ててる」ことになります。
出かけてる間までそれが貼り付いてきたら邪魔くさいので。
(しかし、それに関して上のように書くこと自体は「calicia名義」でないと書けないんですが)
以前の「caliciaを捨てて街に出よう!」はこちらです。

では今年もよろしくです!10分で書けた!
posted by calicia at 13:30| あいさつ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月28日

「今年もお世話になりました&後半を振り返る」の巻。

あと1時間で出かけるから1時間で書く!(笑)
今年後半の「出かけたこと」等を振り返ります。

1.7月 沖縄で朗読会
先日の記事にも触れた沖縄芸人の知念だしんいちろうさんが朗読に挑戦!ということで行ってきました。
ホテルのチャペルでの朗読会。

ある意味「チャペル」という場所にもよく似合う、しかもシュールで刺激的な内容の朗読会でした。
Inside of Chapel(1607-2-010012)


2.7月 水木一郎さんライブ!
あのアニソンの帝王((でいいん)だっけ?)が私の住む町でライブということで、行ってきました。
水木さんはマジンガーで有名だけど、個人的には「グランプリの鷹」の「レーサーブルース」聴けたのが嬉しかったです。
あと、水木さんに限らず、昭和の有名なCMソングや主題歌をスキャットで歌ってきた方の生歌も大興奮!
「11PM」とか「大岡越前」とか!


3.8-9月 パトリシオ・グスマン監督特集突入
去年「光のノスタルジア/真珠のボタン」を観て衝撃を受けたチリのドキュメンタリー監督パトリシオ・グスマンがチリのクーデター(1973年9月11日)を記録した268分263分の大作『チリの闘い』が9月公開ということで、
その前夜祭としてグスマン作品をいろいろ見よう!という上映会に参加してきました。

「サルバドール・アジェンデ」(2004年)とか「チリ、頑固な記憶」(1997年)とか「ピノチェト・ケース」(2001年)とか。
また「チリの闘い」をきっかけに、チリの小説や映画全般に関わるトークショーにも参加したり。

そして9月12日(残念ながら、9/11は別件でいけなかったw)、
念願の『チリの闘い』観賞!
268分263分はあっという間でした。

その後、10月にもう一度見ることになります。


4.9月 アーサービナードさん講演会
9月11日は、このブログでも以前何回か取り上げてた詩人・アーサービナードさんが、
私の地元(7月の水木一郎さんライブと同じ場)で講演会だったので、「チリの闘い」よりそっちを優先したのですw

内容は、まあ著書見ればわかるかと思うので省略。

終了後のサイン会、並ぶ一人ひとりと会話しながらその相手の名前(もちろん漢字も平気)を丁寧に入れてサインをしてくださる、
その姿勢に心が熱くなりました。

私は以前から雑誌の氏のコラムを読んでたんで、「これも読んでます!」と雑誌を見せたらすごく喜んで、
雑誌の方にもサインしてくれました。嬉しかった!

水木一郎さんの生ライブを見れるというのも驚きだけど、アーサーさんと直接話せるなんて、
昔からあこがれてた人にこんな風にであえるなんてほんとよかった!
(しかも、このイベントを知ったきっかけはネットではなく「町のポスター」だった。何もかもネット全盛ではない!)


5.10月 FEC旗揚げ講演で沖縄へ
演芸集団FECの旗揚げ記念公演で再び沖縄へ。
今年、沖縄で「世界のウチナーンチュ大会」が開かれるということで、
この旗揚げ公演メインの演劇もそれにちなんだものでした。

以前、南米からの日系2世のペルー人と親しかった私としては、やはり胸に迫るものがありました。

あと、それとは異なる企画で、「ハルサーエイカー」のキャラクターであるサマリタン・ドブーと、
知念だしんいちろうさん演じるユタキャラ・大兼のぞみさんが2人で歌うという、
とってもレアなシーンに出会えてよかったです!(何か超マニアックだ!すいません!)
DOBUU san e NOZOMI san(161016-3799)

公演は2日間。公演以外のあいた時間に、沖縄の鉄道跡をさがしてみました。
沖縄戦による破壊、およびその後の宅地開発で、沖縄の廃線跡探しって本当に難しいのですが・・。

北谷町の住宅地内にある、その名も軽便橋。
歩道橋だけど、幅、及びその名称からしてもともとここに軽便鉄道が通っていたはず・・とこれも廃線サイトの推測なのですが。
(この橋自体は、昭和63年竣工のようです)

Keibin Bridge(1610-3-020014)

Nameboard 'KEIBIN Bridge' of Keibin Bridge(1610-3-020015)

'Built in March,1988'(1610-3-020020)


6.12月 お笑いライブで再び沖縄へ!
またまたライブで急きょ沖縄に行ってきました!

===
駆け足で書いてしまいました。
この表現のあいだあいだに、書き落としてるニュアンスとか気持ちとか山ほどあるんですけど
つどつど、思い出したら書き足していきたいです。

今年もここを見てくださって(そんな方いるのかな)、本当にありがとうございました。

皆様どうぞよいお年をお迎えください!
posted by calicia at 04:17| 空間的彷徨−沖縄− | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする