2017年10月01日

「9月までに観た映画のタイトルメモ。」の巻。

前回「予告編のみ」と書いた分、本編をまだ書いてませんでした、すいません。
といいつつ、今日は別の話を書きます。

もう10月になってしまった。季節もいい!ってことはまた「着物を出して風にさらす」のをやらねば。

今月は恒例のFECの旗揚げ公演で沖縄行き!楽しみ!
でも今年は去年までのように休みを気軽にとれないから、2日目のを観ずに帰らねばならない。残念!

例年GWにやってる熊本・天草旅、今年は先々週行ってきました。
それもまたここに報告しようかと思いますが、今日は別の話を。

====
今年も結構(私にしては)映画観てる方かと思います。
忘れないうちにメモを(カッコ内は見た回数です)。

1.1/13 渋谷ユーロスペース はるねこ(5)
2.1/25 新宿ピカデリー 新・ミナミの帝王
3.5/21 新宿武蔵野館  皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ(3)
4.5/26 ヒューマントラストシネマ有楽町 皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ(4)
5.6/1  ヒューマントラストシネマ有楽町 皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ(5)
6.6/7 新宿武蔵野館  皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ(6)
7.6/14 新宿武蔵野館  皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ(7)
8.6/16 横浜シネマジャックアンドベティ はるねこ(6)
9.7/5  ヒューマントラストシネマ有楽町 ローマ法王になる日まで
10.7/29 京都造形芸術大学 人魚に会える日。
11.9/5 渋谷ユーロスペース 米軍が最も恐れた男 その名は、カメジロー
12.9/17 本渡第一映劇 ケアニン
13.9/27 新宿武蔵野館 PATERSON

やっぱり集中的に「ジーグ」を観てたのが目立ちます(笑)

先週『PATERSON』観て、
主人公パターソンと、映画『NOTHING PARTS71』の主人公の一人「智一さん」の生活スタイルのある部分に共通点を見出しました。
かつ、それが私の生活様式とも共通だったので、
嬉しくなってしまいました。

===
まあそんなところです!
ではでは。
posted by calicia at 08:16| その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月03日

「骨組だけでいつ肉をつけるのかわからない予告編。」の巻。

予告編というか、予告したまま書き足さない気もします。


1.関東大震災といえば、うちの曾祖母の避難話もある。
母や祖母から聞いた話で、曾祖母から直接聞いたんじゃないですが。


2.731部隊関連の事で、これはぜひ、同時期に満州にいたうちの母・祖母のことを書かねばと思ったんですが。
731部隊は生物化学兵器ですが、八百三十いくつだったか、物理兵器の部隊もありまして、それはうちの祖父が属してた。

それにまつわる母や祖母とのことというか思い出というか、
そんなのを人に言うという発想は今までなかったんですが、
最近はこういうことをこういう場に書いといてもいいんじゃないか、という気がしてきた。
誰かに言わないと、というかどこかに残しておかないと、自分が消えたらその事実はなかったことになってしまうので。


3.上記2.は母方のことですが、今度は父方の話です。
父の姉は戦後日本に駐留して来た米国軍人と結婚して「当時アメリカだった」沖縄に住んでた。

沖縄の本土復帰後は立川基地(現在の昭和記念公園)に住んでた。一度だけ立川基地に遊びに行ったら、どういう手続きなのか、中にいれてもらえたことがある。
中で食べたレモンパイがおいしかった。
なんか米軍基地はレモンパイの思い出とともにあります。

だから、米軍基地は「中に入れるもの」と思ってました(恥)

就職して、沖縄出身の方と仕事した際に、「米軍基地?入れるわけないでしょ!」と、
半ば「そんなことも知らないのか」的に言われた時に、
「じゃあ自分はなぜ入れたのか?」と思った。

で、その頃は多摩地区にもA&Wがありました。立川とか横田とか。

===
予告編だけでそれ以上膨らませずに終わりそうですが、
特に2、は、うちの祖父がいた部隊の番号を調べなおそうとして
ちょっと止まってるんでいつ本チャン書けるのか、という感じです。

まあそんなところで失礼します。

関連過去投稿:
A&Wの件:もう沖縄へなんか行かない?
国際結婚した身内の件:本人に確かめなきゃ。
その他:「あなたがいたから僕がいた2013」の巻。
posted by calicia at 23:51| Comment(1) | 時間的彷徨 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月07日

「内政と外交、じゃない、内省と外向」の巻。

あー人のいないところに来るとホッとする!

今年のGW、恒例の熊本に行けなくてイライラしてた。旅、というか移動の衝動が抑えられなかった。
で、この7月、「映画に関する講義」を聴くために日帰りで京都に行き、
その3日後に「ヒーローのおっかけ」で静岡で1泊。
その3日後に今度は東京都豊島区でヒーローのおっかけ(これは旅ではないw)

いや−もうぶっちゃけますと、家庭の問題も例の事件もこの1〜2年くらい全然進展なしで
そのことを考えてると真面目な話「憎悪の塊」になってしまう。

以前もこのブログで書きましたが人を憎み続けるのってほんまエネルギー消耗するから
何か常におもろい事考えてないとおかしくなる。
ある意味「身を守る(自分の精神状態を保つ)」部分もあって、
このようにしょっちゅう移動して外交、じゃない外向してるわけです。

まあそんなこんなです。
今日は写真もなしですがシャレシャレSNSでもないからなくてもいいですよね(若干キレ気味かw)。

ではでは。
posted by calicia at 00:45| 事後処理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月29日

「硝石工場、汚染、スタバ。」の巻。

前々回のエントリで、「チリの廃・銀工場のはずがなぜ硝石の展示施設に?」と自分で書いたまま宿題にしてたんですが。

今日はその件と、その他色々チリ旅行で思い出したことを書きます。


1.硝石工場の件
(1)
前々回の記事の写真を見ると、「銀工場ウアンチャカは1873年に開山、1902年に閉鎖」とあります。稼働30年弱です。

例の『チリ嵐にざわめく民衆の木よ』を見ると、「十九世紀、ヨーロッパ諸国が肥料として硝石を大量に輸入しはじめると、チリで硝石ブームが起きた。パンパ(チリ北部の砂漠地帯)は世界第一の硝石産出地帯となった」」とあります。
ウアンチャカのオープンしていた時期と重なっています。

この本は、アントファガスタより北部のイキケ(2014年4月に震災のあったところ)での硝石工場及び銀工場サンタロサ銀山に触れています。
銀工場では血のにじむような重労働と搾取があったと。
イキケの近くのマルーシアの硝石処理場でも1920年代末に共産主義者への弾圧と虐殺があったと。

この本ではアントファガスタの銀工場が閉鎖された理由には触れてないんですが、
パンパはアントファガスタまで続いており、
「パンパの「硝石」をめぐってボリビア・ペルー連合軍とチリが1879年から1893年にかけて戦争した」
とのことなので、
アントファガスタでも銀と同時に硝石産業が栄えていたことが推測できます。
(余談ですが、その戦争でチリが勝ってボリビアは海につながる口をなくすことになる)

(2)
なので、今から思うと、
ウアンチャカの展示施設ではアントファガスタだけでなくパンパ全体の硝石産業を紹介してたんだな、と。

そしてこの展示施設ではイキケの近くのピサグアの展示もあった。
ピサグアには、ピノチェト政権時、及びそれより前の1946年のビデラ政権の時にも使われた収容所がある。
あと、チャカブコの写真もあった。これも確か元は労働者の寮(的なもの)だけど結果的に収容所として使われた(と思う)。

・・・て推測ばかり書いてますが、
多分この展示施設、ウェブサイト持ってると思うので、時間あったら見てみます!


2.アントファガスタの街で
ウアンチャカを訪れた日の前日は、例のラ・ポルターダを訪れてました。
が、午後ヒマになったので、一人で街を歩いてました。

ホテルから中心部の方に向かうと、こんな看板が!
'Basta de Contaminacion'(1512-5-040021)
「汚染は沢山だ!」

その道をまっすぐいくと、建物に落書きと怒りの言葉が!
Ese Edificio(1512-5-040023)

Un Mensaje(151225-2500)
「この建物も、ここに住む人々も港のせいで汚染されてる」

そしてこの建物の他の面に回るとこんな言葉が!
'FUERA MONSANTO'(151225-2503)
「Fuera Monsanto!」=モンサントは出ていけ!

そういえば、この街ではスタバを見かけなかった!

この建物の上部にはこんな幕が。
Building along 'URIBE'(1512-7-010035)
細かいですが、「これ以上<毒(というかどくろマーク>をアントファガスタの港に集中させるな」

一方、この道に並行した道には新しいショッピングモールが。
Mall and Railroad Crossing(1512-5-040024)

しかし、この写真に見えている踏切を反対側から見ると、何と日本語の「死」の落書きが!(撮ってるとき気づかなかった。現像して気づいた)
Paso a Nivel(1512-3-020002)

何かこの街の「闇」を見た気がしました。

帰り道、行きと並行する道を歩いてたら、2009年にできたという新港のモニュメント。
Monument of 'NEW PORT'(1512-7-010032)

あ”〜、だから新港の工事でこの周辺の環境が汚染されたってことでしょうか。
何の物質による汚染かはわからなかったんですが。


3.スタバは
アントファガスタでスタバを見かけなかったのは「たまたま」だと思います。
徒歩と、ガイドさんの車移動の範囲で見かけなかっただけなので、、他のエリアにはあるのかも。

実際、首都サンチャゴにはあったし(写真とらなかったけど)
あと、リゾート地ビーニャ・デル・マルにもありましたし。
(あ〜、走り去る車から撮ったので、木に隠れて見えづらいですが)
Starbucks at Vinna del Mar(1512-13-020021)

あ、そうそう例の『チリ嵐にざわめく民衆の木よ』によれば、サルバドール・アジェンデの墓はビーニャの近くらしい。
でも墓標も掲げられず、もちろん、私たちみたいな旅行者にも知らされない。
その本によると、未亡人が何度も墓標を掲げたのに、翌日にはすぐ当局に外されたのだとか。

===
あ、何かウアンチャカの銀工場と硝石工場にはあまり踏み込めず、結局ただの羅列になってしまいましたが、
突然思い出したので、忘れぬうちにと思って書きました。

ではでは。
posted by calicia at 12:42| 空間的彷徨−海外− | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月15日

「意味のないことを愚直に10年間続けてきた。」の巻。

うんやっぱこんな日は闇に向かって吠えるに限る!

4月から新職場になりました。
今までは週休3日制だったのが2日制に戻ったことで生活サイクルが変わり、
まだちょっと慣れてない感じです。

というか、土日しか休めないのがほんと大変。
「みんなそうなんだから」と怒られそうだけど、今はもっぱら土日は体調回復にあてているので、
しばらくは、今までのようにアクティブには動き回れないなあ。

あと、週休3日制時代は「平日に仕事以外でやるべきこと」をこなせたのが結構よかったので、
それができなくなった分、今は時間配分が大変です。

===
愚痴はさておき、本題です。
2008年廃駅となった「口之津」駅(長崎県は島原鉄道 加津佐海水浴場−島原外港間にあった駅)を、2008年以降、毎年撮りに行くというのをやってきました。

最初に口之津を訪れた2007年のGW時点ではまだ運行していましたがその時は豪雨のため写真撮れず。
2008年4月末で廃止になったのですが、それを知らぬ私が訪れたのはその直後のGWでした。

以降愚直に2016年まで撮ってきたものを、本日一挙放出します。
なお、2007年から2011年の経緯はこちらの記事により詳しく書いています。

2008年。
Railroad at Kuchinotsu Station

2009年。
Rail and 'Board of Station' already removed.(20)

2010年。
EX-Kuchinotsu Station(1005-10-040016)

2011年。
Marks of Railroad(5-040007)

2012年はちょっとズレた地点で撮っていました。
Ex-Kuchinotsu Station(10-040009)

2013年。
EX-KUCHINOTSU Station(1304-9-030021)
完全に、島鉄バスの駐車場的な使われ方になっています。

2014年。
Ruins of Platform at Ex-KUCHINOTSU Station(1404-9-030015)

2015年。朝はまだ天草にいて、いつもの牛深ハイヤ大橋や崎津天主堂を見てから島原半島にわたったので、こんな夕刻になりました。、
Ex KUCHINOTSU Station(1504-9-030006)

2016年。熊本地震のため熊本行を6月に延ばし、帰りに寄りました。丁度このころ、熊本も長崎も豪雨。辛うじて写真は撮れましたが。
Ex-KUCHINOTSU Station(1606-11-000026)

===
まあ全くSNS映えしないというか、こんな意味のないことを愚直に10年もやってしまいました(笑)
「いいね」なんて概念とは無縁の世界でやってました。

===
関係ない話ですが、今後、仕事とかは正直どんどん人工知能にとってかわられると思います。
それで人間の仕事がなくなったり、問題は色々あると思いますが、
となると人間側に残る楽しみ&強味は「いかに意味のないことをやるか」じゃないのかな〜、とか勝手に思ってます(←結局自己肯定か(苦笑))

ではでは。
ラベル:のりもの
posted by calicia at 13:20| 空間的彷徨−九州− | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月10日

「捨てられた銀工場にて「君アジェンデ知ってる?」と尋ねられた」の巻。

突然ですが、
2015年のチリ旅行談、すごい大事だと思うあまり、ずっと書けなかったことを今日書きます。
相変わらず論理的じゃなくメモ的だけど、早めに書かないと忘れそうなので。

1.見捨てられた銀工場ウアンチャカ1997年
アントファガスタの近くのラ・ポルターダのことは何回かふれました
アントファガスタの南6km、1873年創建の銀工場ウアンチャカについては今回初めて触れます。
創建から10年程度で閉鎖されてしまったとのこと。

HUANCHACA(9709-6-001056)

HUANCHACA(9709-6-001053)

HUANCHACA(9709-6-001055)

1997年に初めてここを訪れたときは、遺跡の上の方まで上り、下を見下ろすこともできました。

HUANCHACA(9709-6-001057)


2.ウアンチャカ2015年
18年ぶりの2015年、チリを再訪した時、ラ・ポルターダと合わせてぜひここも訪ねたいと思ってました。
というのも、2010年と2015年にチリも大地震を経験して、その後を見たかったからです。

1997年の時は自由に入れたのに、2015年は「国定公園」のようになっていて、
展示施設もできていました。
(出発直前、「その公園施設が12/25はクリスマスで閉館」とわかり、急きょ予定を変更して12/26に訪れた)

一見変わらない外観。
HUANCHACA(1512-9-030022)

HUANCHACA(1512-9-030010)

展示施設。
Entrance of Huanchaca(1512-8-020022)

でも、廃墟の上の方まで上ろうとしたら、
車で待っていたガイドさんが私を見上げて、「おーい、戻ってこーい!」と怒られちゃいましたw
え”、平気で上ってるフランス人もいたのに。

確かに、下からは見えないけど、地震の影響で上の方結構崩れてるので、そのため立入禁止みたいです。


3.君、アジェンデを知ってる?
遺跡に上ろうとする直前まで、先に展示施設を見ていました。
ここでも書いたけど、ガイドさんはクロアチアからの移民で結構高齢。

(そういえば、ガイドブックにも1997年時点での説明板(上記写真)でも「銀工場」とあるけど、
 ガイドさんは硝石工場っていってたのを今、突然思い出した。
 なぜ銀工場が硝石工場に?いつか調べよう)

施設の入口に、この遺跡の概要を紹介するビデオが見れるようになってました(スペイン語/英語)。
ナレーションの中に「アジェンデ政権時代に」とあったからか(「本当にそういうアナウンスがあったか」についても、今となっては定かではないんですが)、
映像を見てる私に、ガイドさんが突然「君、アジェンデを知ってる?」と尋ねてきました。

なのでもちろん「知ってます」と答えました。
(でも正直、その時点では全く勉強不足だったので、それ以上会話できなかった。
 その分、去年、例の映画『チリの闘い』がらみで、同じ監督による『サルバドール・アジェンデ』を見ることになるのですが)

展示施設内はこんな感じ。
Museum HUANCHACA(1512-9-030003)

この写真の後方に見える壁の部分に、この工場の歴史が年表で示されています。

その年表を見ててふと気づいたことがあって、私はガイドさんに尋ねました。
「この年表、1973年(9.11、クーデターが起きてアジェンデ政権が倒れた年)及び1989年(ピノチェト政権が倒れた年)が抜けてますね。」

するとガイドさんは
「さあ。。それは政治の世界で、こっちは経済の世界のことだからね」と答えました。

(あー、載ってなくて当たり前かー。アホな質問しちゃったなー。)と、その時は思いました。

でもこうも言ってました。
「まあ、ピノチェトの側近とかで、硝石関係で私腹を肥やしていた者は、
 (1989年に政権が倒れたことで)そういうことはできなくなったんじゃないか?」
(↑・・すいません、本人の言葉の記憶に、かなり私の「解釈」を足してしまってます)

「ピノチェトが倒れて、色んなことがだいぶよくなったんですよね?」と尋ねたら、
「さあ。。どうかな。あまり変わらないね」


4.その後&帰国後に思ったこと
その後展示施設の外に出て、遺跡の方の写真を撮るのに専念してしまったので、この会話はこれ以上続きませんでした。

「独裁者ピノチェトが倒れてハッピーエンド!」ではないことは、
『チリ 嵐にざわめく民衆の木よ』(著・高橋正明、大月書店、1990年)を読んで「知識」として知ってはいましたが、
こんな風に肉声で聴いたのは初めてでした。

ご高齢のためか、その方の発話はスペイン語も英語も時々聞き取れない点があり、
それ以上話を発展させなかったのですが、
もうちょっと頑張って、色々聞いてみればかったかなあ。

だって経済の世界と政治の世界ってやっぱりリンクしてるし!

・・そんな後悔があったので、日本に帰るお土産にアジェンデの本を買ったし、
去年は『チリの闘い』を頑張って観たわけでして。

そして、昨今のうちの国の状況見てて、
「かつて、かの国でも<独裁者>が好き放題やってた。これはここで書いとかないと、忘れてしまう!」
と思ったので、今日突然思い立って書いたのでした。

終わります!48分で書けた(笑)
posted by calicia at 12:53| 空間的彷徨−海外− | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月02日

「転職ブルー。」の巻。

1.
新年度を迎え、明日月曜日から新職場。
この3月まで5年間いた職場がいろんな意味で環境良すぎたので
これから新しい環境でやっていけるのか不安です。

今までこんなことは何度もあったはずなのですが、
今回は特に不安度が大きくて、「マリッジブルー」に似た感じの「転職ブルー」。


2.
しかし3月の、いろんな決まり方のタイミングもすごかった。
転職活動、2月は結構落ちまくってて、3月第2週でいきなり決まって
そしたら3月第3週でいきなりPCの電源が入らなくなった。

修理しようにも、もう部品も販売終了となっていて、もうPCは生き返らないことがわかった。
データ復旧業者に頼んでとにかくデータだけ引き出してもらい(それでも6万!)、
別途、新PCを購入予約。

もともと4/11でVistaが終わるから、いずれにせよPC買い替えか、あるいは現行PCをLinuxにして使おうかなと思ってたとこでした。
(でも、LinuxにするとWindowsベースでのデータとの互換性に不安があった)

それにしても、もし履歴書ばりばり書いてる最中にPC壊れてたらどうなってたんだ?と思います。
それに、もともと3月丸々1か月有休消化の月だったので、こういうアクシンデントがこんなヒマな期間に起きたのは幸いでした。

PCが届くのを待つ間も、お笑いライブで沖縄行くし(笑)
で、丁度帰ってきた日にPCも家に届いて、早速セットアップして。


3.
3月最終週は「有休消化最後の週!」ということで色々心残りだったことをやりました。

その中でもデヴィッド・ボウイ展に行ったのですが、
ついったの方に書き忘れたことをこっちに。

「戦メリ」のクライマックスシーンの、ボウイが教授をぐぐっと抱きしめるシーンで、
突然動きが「カクカク」となるんですが、
「あれはフィルムの(?)事故だった」ということ。
(最終展示ゾーンの、教授とビートたけしの談話でわかる。
 教授とたけしの双方に、違う場で話を聞いたものですが、これに関して2人とも「あれは事故でしょ」と言っていたのが興味深い)

IMGP4324


4.
あ、最後はすいません個人的メモです。
最近ハマっている『絶狼』に関するインタビューです。
(忘れそうだし、ついったのタイムラインだと流れてしまうので、ここにリンク集作っておく)

【絶狼で再共演】弓削智久と芳賀優里亜が振り返る 仮面ライダー龍騎&555の時代

『絶狼<ZERO>-DRAGON BLOOD-』好評放送中!零&烈花&カゴメ&エデル スペシャルインタビュー!!


5.
あー明日が来なければいいのに!ひっさびさに、仕事に行きたくない恐怖!(苦笑)
ではでは。

<追伸>
福岡の「篠崎酒造」さんの「甘酒アイス」に、同じ篠崎酒造さんの「あまおう梅酒」をかけて食べたらめちゃおいしかった!(証憑としての写真は載せませんがウソじゃありません!)
posted by calicia at 07:05| 仕事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月05日

「育った町定点観測。」の巻。

例年12月29日、自分の育った町(23区内)を訪れるんですが、
写真がたまってきたので、めぼしいところをちょっと比較してみます。
これ、調べればどこだかバレちゃいますが。

よく飲み物とか日用品とか買ったり、写真のDPE依頼したり宅配便出したりしてた酒屋さん。
2013年12月29日。閉店してました。
2012年時点で既に閉店してたのかもしれませんが、2012年の写真がすぐ出てこないので2013年の写真を使います。
Old Liquor Shop that I frequentary used(131229-0802)

角にあった金物屋さんも閉店してました。
IMGP0803

そして2016年12月29日。
酒屋さんはアパートになってました。
IMGP4011

金物屋さんも更地に。というか今写真比較してて改めて気づいたけど、その背後にあったマンションもなくなってる!
IMGP4012

ちなみに2013年時点で既に閉まってた郵便局。というか黙ってると郵便局とわからない(笑)
元々木造の郵便局だったのを建替えて、この建物で営業してたんですが・・。
IMGP0808

2016年に訪れても、やはり閉まってました。
Formerly,this building was Post office(161229-4024)

だから何だ?という話ですがこの辺で。
posted by calicia at 08:54| 空間的彷徨−首都圏− | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月15日

「2016年観た映画をリストアップする。」の巻。

気温が低くて天気もよいから着物の風通しをしながらさっきこのブログ原稿書いてた。
油断して、保存しないまま離席してたらPCが固まってしまって!

原稿全部消えた!
頭きたので書き直しますが、さっき冒頭で書いてた「前書き」的なものは省略(笑)。

昨年見た映画のリストです。
普段ぜんぜん観ない私にしては、結構観たな、と。
「チリの闘い」がらみで、パトリシオ・グスマン監督作品を中心に見たのが大きかったです。
(グスマン監督作品は、2015年「光のノスタルジア/真珠のボタン」も見てますし)

どこで見たかも大きいので、映画館名も書きます。
あと、カッコ内数字は「何回目に観たか」です。

1.4/1 川越スカラ座 光のノスタルジア(2)
2.4/1 川越スカラ座 真珠のボタン(2)
3.4/29 有楽町朝日ホール 皆はこう呼んだ「鋼鉄ジーグ」
4.5/4 有楽町朝日ホール 皆はこう呼んだ「鋼鉄ジーグ」(2)
5.6/25 天草・本渡第一映劇 東京物語
6.6/26 天草・本渡第一映劇 うつくしいひと
7.7/17 渋谷ユーロスペース FAKE
8.7/17 渋谷ユーロスペース 地球に落ちてきた男(多分2)
9.8/25 アテネフランセ文化センター サルバドール・アジェンデ
10.8/25 アテネフランセ文化センター チリ、頑固な記憶
11.8/26 アテネフランセ文化センター ピノチェト・ケース
12.8/28 横浜シネマジャックアンドベティ M/OTHER
13.9/3 横浜シネマノベチェント NothingParts71(8)
14.9/12 渋谷ユーロスペース チリの闘い第1部 ブルジョワジーの叛乱
15.9/12 渋谷ユーロスペース チリの闘い第2部 クーデター
16.9/12 渋谷ユーロスペース チリの闘い第3部 民衆の力
17.10/9 横浜シネマリン 真珠のボタン(3)
18.10/9 横浜シネマリン チリの闘い第1部 ブルジョワジーの叛乱(2)
19.10/9 横浜シネマリン チリの闘い第2部 クーデター(2)
20.10/9 横浜シネマリン チリの闘い第3部 民衆の力(2)
21.10/28 新宿K'sシネマ アルジェの戦い
22.11/17 渋谷ユーロライブ はるねこ
23.12/17 渋谷ユーロスペース はるねこ(2)
24.12/25 渋谷ユーロスペース はるねこ(3)
25.12/28 渋谷ユーロスペース はるねこ(4)

11月以降「はるねこ」が多くなってますが、
これは9月の横浜シネマノベチェントでの「NothingParts71」上映会の際、
はるねこを監督した甫木元空監督が客としていらしていて、
最後に「12月に、ユーロスペースで「はるねこ」という作品を上映します」と挨拶があり、
その後に作品のフライヤを手渡しで頂いて、興味を持ったのがきっかけです。

フライヤ読んだら、キャスト欄にりりィさん(この時は他界されるなんて思わなかった)とか
田中泯さんとかあって「これは絶対おもしろい!」と思ったので・・。

9/3に横浜でフライヤ入手して、9/12にユーロスペースで「チリの闘い」観たら、予告編タイムの冒頭に「はるねこ」の予告編流れて、「おお、やっぱこれは行かねば!」と思ったのを思い出します。

実は、年明け1発目も再度「はるねこ」見てきたばかりだったりして・・。

というわけで、何とか文章復旧した(まったく同じ文にはならなかったけど)。
ではでは!
posted by calicia at 17:48| カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月04日

「caliciaを捨てて街に出よう2017!」の巻。

あけましておめでとうございます!
今年もよろしくお願いいたします。

あと10分で出るので10分で書く!

今週末、毎年恒例の佐賀に行くんですが、毎年1月第1週にやってきて、今年で22回目です。
地震とか天災とかあるなか、もうこうなってくると毎年続けられることにも感謝です。

私はモバイル系端末を一切持たないので、出かけてる間は「caliciaを捨ててる」ことになります。
出かけてる間までそれが貼り付いてきたら邪魔くさいので。
(しかし、それに関して上のように書くこと自体は「calicia名義」でないと書けないんですが)
以前の「caliciaを捨てて街に出よう!」はこちらです。

では今年もよろしくです!10分で書けた!
posted by calicia at 13:30| あいさつ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月28日

「今年もお世話になりました&後半を振り返る」の巻。

あと1時間で出かけるから1時間で書く!(笑)
今年後半の「出かけたこと」等を振り返ります。

1.7月 沖縄で朗読会
先日の記事にも触れた沖縄芸人の知念だしんいちろうさんが朗読に挑戦!ということで行ってきました。
ホテルのチャペルでの朗読会。

ある意味「チャペル」という場所にもよく似合う、しかもシュールで刺激的な内容の朗読会でした。
Inside of Chapel(1607-2-010012)


2.7月 水木一郎さんライブ!
あのアニソンの帝王((でいいん)だっけ?)が私の住む町でライブということで、行ってきました。
水木さんはマジンガーで有名だけど、個人的には「グランプリの鷹」の「レーサーブルース」聴けたのが嬉しかったです。
あと、水木さんに限らず、昭和の有名なCMソングや主題歌をスキャットで歌ってきた方の生歌も大興奮!
「11PM」とか「大岡越前」とか!


3.8-9月 パトリシオ・グスマン監督特集突入
去年「光のノスタルジア/真珠のボタン」を観て衝撃を受けたチリのドキュメンタリー監督パトリシオ・グスマンがチリのクーデター(1973年9月11日)を記録した268分263分の大作『チリの闘い』が9月公開ということで、
その前夜祭としてグスマン作品をいろいろ見よう!という上映会に参加してきました。

「サルバドール・アジェンデ」(2004年)とか「チリ、頑固な記憶」(1997年)とか「ピノチェト・ケース」(2001年)とか。
また「チリの闘い」をきっかけに、チリの小説や映画全般に関わるトークショーにも参加したり。

そして9月12日(残念ながら、9/11は別件でいけなかったw)、
念願の『チリの闘い』観賞!
268分263分はあっという間でした。

その後、10月にもう一度見ることになります。


4.9月 アーサービナードさん講演会
9月11日は、このブログでも以前何回か取り上げてた詩人・アーサービナードさんが、
私の地元(7月の水木一郎さんライブと同じ場)で講演会だったので、「チリの闘い」よりそっちを優先したのですw

内容は、まあ著書見ればわかるかと思うので省略。

終了後のサイン会、並ぶ一人ひとりと会話しながらその相手の名前(もちろん漢字も平気)を丁寧に入れてサインをしてくださる、
その姿勢に心が熱くなりました。

私は以前から雑誌の氏のコラムを読んでたんで、「これも読んでます!」と雑誌を見せたらすごく喜んで、
雑誌の方にもサインしてくれました。嬉しかった!

水木一郎さんの生ライブを見れるというのも驚きだけど、アーサーさんと直接話せるなんて、
昔からあこがれてた人にこんな風にであえるなんてほんとよかった!
(しかも、このイベントを知ったきっかけはネットではなく「町のポスター」だった。何もかもネット全盛ではない!)


5.10月 FEC旗揚げ講演で沖縄へ
演芸集団FECの旗揚げ記念公演で再び沖縄へ。
今年、沖縄で「世界のウチナーンチュ大会」が開かれるということで、
この旗揚げ公演メインの演劇もそれにちなんだものでした。

以前、南米からの日系2世のペルー人と親しかった私としては、やはり胸に迫るものがありました。

あと、それとは異なる企画で、「ハルサーエイカー」のキャラクターであるサマリタン・ドブーと、
知念だしんいちろうさん演じるユタキャラ・大兼のぞみさんが2人で歌うという、
とってもレアなシーンに出会えてよかったです!(何か超マニアックだ!すいません!)
DOBUU san e NOZOMI san(161016-3799)

公演は2日間。公演以外のあいた時間に、沖縄の鉄道跡をさがしてみました。
沖縄戦による破壊、およびその後の宅地開発で、沖縄の廃線跡探しって本当に難しいのですが・・。

北谷町の住宅地内にある、その名も軽便橋。
歩道橋だけど、幅、及びその名称からしてもともとここに軽便鉄道が通っていたはず・・とこれも廃線サイトの推測なのですが。
(この橋自体は、昭和63年竣工のようです)

Keibin Bridge(1610-3-020014)

Nameboard 'KEIBIN Bridge' of Keibin Bridge(1610-3-020015)

'Built in March,1988'(1610-3-020020)


6.12月 お笑いライブで再び沖縄へ!
またまたライブで急きょ沖縄に行ってきました!

===
駆け足で書いてしまいました。
この表現のあいだあいだに、書き落としてるニュアンスとか気持ちとか山ほどあるんですけど
つどつど、思い出したら書き足していきたいです。

今年もここを見てくださって(そんな方いるのかな)、本当にありがとうございました。

皆様どうぞよいお年をお迎えください!
posted by calicia at 04:17| 空間的彷徨−沖縄− | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月01日

「魔法使いの忘れ物?」の巻。

おっとこれから『黒い十人の女』最終回スタートまでに39分しかない。
39分で書く!

近々、今年後半のことを書くつもりですが今日は別の話をします。

何度か書いてるように、去年末、18年ぶりにチリを再訪して。
ラ・ポルターダも再度訪れてみました。
以前訪れた時のことは2005年にブログに書いたのですが、その記事はこちらです。
約200万年前?の橋
「バウムクーヘン」おかわり!

その後チリも2010年および2015年9月に大地震があってその後の状況がどうなってるか気になってました。

18年ぶりのラ・ポルターダ、大まかな風景は変わりません。
LA PORTADA(1512-4-030012)

しかし海岸に降りる階段には以下の写真のように柵ができて、降りられなくなっていました。
NO PASAR(1512-4-030027)
上部の赤い表示板に「危険!通るな!」と書いています。

仕方なく、柵に沿ってできた遊歩道を歩いてあの「200万年前の橋」が一番よく見える台に立ちました。
すると、何か鍵?のようなものが柵に結ばれています。
Ornament(Keys)(1512-3-020026)

「この鍵、何ですか?」と私はガイドさんに尋ねました。
今回、アントファガスタやこのラ・ポルターダを案内してくれたガイドさんは70歳代後半〜80歳代の割と高齢な感じの方でした。
(翌日、その方がクロアチアからチリへの移民であることを知るんだが)

「魔法使いの忘れ物か何かじゃない?」とその人は英語で答えました。

その国の、というかその人個人の、ユーモアとかウィットのセンスがよくわからないため、
最初、「魔法使い」て語を唐突に聞いて、一瞬自分が聞き間違ったかと思ったんですが、
すぐにその人は「Bruja」(「魔女」を示すスペイン語)と言い直してたから、
「あーやっぱ魔法使いなんや」と確信しました。

そう言われても何とも答えがたくて、まあ「あはは」とかお互いに笑ってたのかな(忘れてしまった)
というわけで、この鍵の写真を見ると、その時の不思議な会話の感じを思いだします。

===
(余談ですが、キューバのサルサバンド「NG La Banda」の曲に「La Bruja」て曲があって、
 この単語はその曲で覚えた。
 その曲は村上龍のCuba映画『KYOKO』のサントラにも収録されてる)
===

そして39分以内に書き終えることができた!これから『黒い十人の女』見る!
ではでは。
posted by calicia at 00:03| 空間的彷徨−海外− | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月20日

「来年は旅できないand今年前半を振り返る。」の巻。

あ”ー、土曜日に雨が降ったので今日は予定変更!なので暇になってしまった!なのでブログ書く!2時間で書く!(長文注意)


1.
いや〜人の少ないとこで書いてるって快感で。
ブログだけでなく、flickrの方もinstagram等の後発SNSにとっくに抜かれて過疎ってるけど逆に気が楽。

個人事業主とか企業が広報宣伝するのであれば、「ユーザーの多いサービス」上で宣伝するのが有効だと想うけど、
匿名の個人の独白サイトにはその必要ないので、別に人の多い場所にいる必然性ないわけで。

あと、やはりブログって個人の手癖というか思考の癖が透けて見えるところが醍醐味だな、と。
(↑アルファブロガーの『シロクマの屑籠』さんとこでは「精神の指紋」とも言ってます)
だからこそ、怖いわけですが。


2.
「来年3月に職を失う」とわかってるので来年はほとんど旅できないと想ってます。
その分この5年間、好きなだけ沖縄行ったり、さらには去年、18年ぶりに南米にも行けたし、十分楽しんだからいい。

来年以降はまた失業ですが正直何もしたくない。ちょっと引きこもりたい気もしています。


3.
今日は今年の前半を振り返ります(1月から5月まで)。いつもの「どこ行った」話ですが。

(1)1月 恒例の佐賀。
例年の用を済ませた後、初めて佐賀城の方へ。
Gate of Saga Honmaru Castle(1601-2-010003)

城内の奥に「本丸歴史館」があって、「佐賀の8賢人」の寸劇をやっていました。
8人のうち日替わりで3人をピックアップし、その3人についての物語を演じます。
Play of the 3 men out of 8 wisdoms(1601-1-000034)
この日は鍋島直正(中央)、江藤新平(右)、大木喬任(左)でした。
(各人の功績はここでは省略)

あ、あとやっぱこの写真を追加したくなった。
佐賀から唐津線に乗った時にすれ違ったバルーン。
Baloon seen from KARATU-LINE(1601-1-000015)


(2)3/14 日帰りで北海道。
 3/26の北海道新幹線開業に伴い津軽海峡線スーパー白鳥が廃止になると知り、日帰りで北海道は木古内まで。
木古内は、2年前「最後の江差線を見に行く」で訪れた駅です(こちら参照)。

2年前、江差線がとまっていた木古内駅の同一地点には、北海道新幹線開始に向けての高速車両試験車「マヤ34」が。
Test Train seen from the bridge(1603-3-020001)

それを牽引する機関車DE-10。
Test Train for High Speed(1603-3-020004)

木古内駅で撮影したスーパー白鳥789系。
Super HAKUCHO arrived at KIKONAI Station(1603-2-010030)

木古内から函館駅に戻ってきたスーパー白鳥。
SUPER HAKUCHO at HAKODATE Station(1603-4-030020)

函館駅では函館本線の0起点キロポストも。
KILOPOST displayed outside of Station(1603-4-030012)

帰り、新青森駅にて。
at SHIN-AOMORI Station(1603-5-040001)


(3)3/24 ライブで沖縄へ。
ここ数年応援してる沖縄芸人・知念だしんいちろうさんの単独ライブのため沖縄・那覇のライブハウスOutputへ。
ライブ記念のオブジェを。
Objet of 'DA' san(160324-2941)

終了後、沖縄を中心に活動するサルサバンド・カチンバの普天間のライブ拠点へ移動。
その日はレゲエとサルサのコラボライブで大盛り上がり!
店のテラスから。
Nightscape of Futenma(160324-2950)

県道の向い側はもう米軍の敷地です。


(4)4月 「イタリア版鋼鉄ジーグ」を見る。
GWの熊本旅行をキャンセルしたため、急遽予定を変更して映画を見に。
『皆はこう呼んだ鋼鉄ジーグ』です。
Poster of 'Lo Chiamavano Jeeg Robot'(160429-2998)

今年はこの作品にすっかりハマりました。


(5)5月 初イバライガー!
茨城県ひたちなか市は那珂湊駅の「ひたちなか海浜鉄道開業(三セク化)記念イベント」にて茨城のご当地ヒーロー「時空戦士イバライガー」のショー!
鉄道もご当地ヒーローも同時に楽しめる、お得な日でした。

3.11の東日本大震災後しばらく運行休止してましたが同年7月に運行再開、2014年には新駅もできるなど、最近順調なひたちなか海浜鉄道です。

この日はヒーローファンだけでなく「開業記念イベント」ということで多くの鉄道ファンもつめかけ、駅はごった返し。
Hitachinaka Railways(1605-1-000015)

そんな中現行車両キハ37100は普通に運行。「汽車来るから下がって!」て声も聞こえて(←「電車」ではなく「汽車」)。
Hitachinaka Railways(1605-1-000014)

反対側のホームには展示用車両キハ205をはじめとして何台か並んでました。
KIHA205 at Nakaminato Station(1605-1-000034)

ショーの後は撮影会。常連ファンのポーズリクエストに快く応じるイバライガーブラックとイバライガーR。
Ibaliger-Black and Ibaliger-R(160515-3098)

これはサービスポーズ^^
'KYAEEN!'(160515-3100)

楽しい家族旅行の図。
IMGP3111

一番気に入ったのがこのイバライガーブラック(これを銀塩で撮れたのがうれしかった。)。
Ibaliger Black at Nakaminato Station(1605-1-000035)

この間も普通に列車は運行してるわけで、もし自分が列車に乗ってて途中駅にイバライガーいたらめっちゃテンション上がる!
R and Black at NAKAMINATO Station(160515-3129)

実は、キハ205の奥の奥に停車のキハ2004中では鉄道写真展も行われてました。熊本地震直後で、募金をするとその場で鉄道生写真がもらえるという特典つきでした。
IMGP3116


=====
後半殆どイバライガーの話になってしまいました(笑
(というか、ほんとにこの時自分嬉しかったんやな、と今にして想います)

で、翌6月に熊本に向かうわけです。
その後は7月と10月に沖縄ですが、それはまた書けたら書きます。
何とか2時間以内で書き終わりました。
ではでは。
posted by calicia at 10:18| 空間的彷徨−九州− | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月22日

「久しぶりにつれづれ。」の巻。

あー、誰も読まないブログをいわば「闇に向かって」書くのって気分いい!!ので久しぶりに書く!

6月の熊本行のレポートが途中になってました。
まあ残りの日は例年のように天草の牛深と崎津に行って、翌日天草から島原まわりで帰ってきただけなんですが・・。
今回はそれの補足と、最近思うことについて(長文注意)。


1.牛深にて
四日目、牛深でいつものようにハイヤ大橋の写真を撮った後、
あるお土産屋さんの店先を見てました。
2012年に牛深で撮影、2013年に全国公開された映画『女たちの都−ワッゲンオッゲン』の撮影風景が展示されてました。

その映画自体は2013年の「牛深ハイヤ祭」の時、この町で見ました。
が、あまり印象よくなかった、というか。。
大竹しのぶやエンケンさんはじめ、役者陣はよいのですが、
あれでは役者の印象ばかりが残って「結局どの町でもいいような」印象になってしまう。

今年熊本地震が起こり、その「復興支援」ということで、この6月に私の町でもこの映画を再上映したんですが、
上記の印象があったので、結局見に行きませんでした。

・・等々思いながらその展示を見てたら、お店の方が、
「この映画、ここで撮影したんですよ。ね〜これだけの役者さんがここに来てくれて。最近、熊本のテレビでも放映されたんですよ」と声をかけてくれました。
そこで思わず私も、
「はい、3年前これ、ここで見ました!最近私の町でも、あ、私埼玉から来てるんですが、復興支援で私の町でも再上映してました!」と
答えてしまいました。

映画は「いかに<衰退都市・牛深>を救うか」て話なんですが、
ロケが終わって映画が出来上がって劇場公開も済んで、一時期の熱が去ったら、
結局ロケ地のリアルな状況としては、もとの<過疎な衰退都市>のままか〜と想って。
でも地元の人は「東京からたくさん役者が来てここで映画が作られた」ことで喜んでる、みたいな。

私は個人的には
「経済指標的には<衰退>かもしれないけど、それがこの町の<豊かさ>だ」と想ってるので、
まあこのまま変に発展してくれなくていいです^^

お約束のハイヤ大橋。
USHIBUKA HAIYA Bridge(1606-7-010017)


2.崎津にて
牛深のあと、いつものように崎津へ。
去年数分しか滞在できなかったおすし屋さんで今回はゆっくり。

お店の前にレトロな看板があったのに、今回看板の一部がなくなっていて、
「どうしたんですか」と尋ねたら
「あっちに隠しました。市の人に<景観が>ていわれて。
 でも旅行者の人から見るとどうですか、こういう看板」と逆にきかれて。

「自分は(レトロ風景とか好きなので)好きですが。
 でも世界遺産登録絡みで行政もうるさくなってるんですかね」と
きいてみたのですが、特にそれへの答えはありませんでした。

崎津はやはり世界遺産関係(今年確か登録出来なかったと想う)で天主堂周辺の案内板など急速に
増やしているし、店も増えてる。
それにあわせて、去年までのいい意味の「雑然感」は減ってる気もします。
変にシャレシャレカフェとかほしくないんですが〜^^

あと、天草自体は震災の影響はほとんどなかったのに、熊本市のほうで交通が止まってるからなどの理由で
やはりGWはお客さんが激減。それでも被災地に支援にいったり、本当に大変だったとのこと。

昨年見たレトロ看板。
Objet at SAKITSU in 2015(1504-6-000035)

今年見た看板。あれ、大正製薬のがなくなってます。
Old Signboard of COCA COLA(1606-9-030008)

あ、こっちにあった。
Yellow Signboard hidden behind...(1606-9-030015)

入り組んだ湾沿いに、漁師の生活空間として「カケ」と呼ばれる木造のテラスが続く。
この「カケ」、映画「ワッゲンオッゲン」の中のエンケンさんと西尾まりさんの会話シーンで使われてます。天主堂の塔が遠くに見えます。

KAKE at SAKITSU(1606-9-030036)

で翌日島原まわって福岡から東京に帰ってきたという話です。


3.ところで
でもう10月も終わりなんですが、
東日本大震災があって熊本地震があって、最近は阿蘇山が噴火したり、昨日は鳥取でも地震があって。

何かもう、「1年1年生き延びるのが大変!」て感じです。

「誕生日なんか何がめでたいんだ!」という意見があって、確かにそういう部分もあるけど
やはり「何とか生き延びてきたぜ」ってだけで私はめでたいと思います。
(「生きてるだけでまるもうけ」に近い感覚)
だって来年のこの時期、またここを更新できる保証はないので。

それにあわせて、前にここで書いたこのことを実感します。
作家の多和田葉子さんのインタビュー中の言葉。

東京に2週間ほど滞在すると、この世には日本しか存在しない気がしてきます。ベルリンでは、イスラム系の人や東欧の人と日常的に出会い、ああユーラシア大陸だなと感じるのですが、東京では外国はテレビやネットの中、そして商品としてのみ存在する。外の世界は空想の産物に思えてくるんですね。


今まで熊本のことを書いてきて唐突ですが、
去年末、無理にでも南米チリを再訪したのは、自分にとってはやはり大切なことだったんだと今思います。
外国は、「テレビやネットの中、そして商品として」以外にも存在する。

そして、リンクした記事中の別の箇所の多和田さんの発言にもあるように、
「日本語ではない言語で一日中ものを考えて生きている人がいる」。
日本語、というか日本をというものを全く知らずに生まれて死んでいく人たちがいるという事実(そしてそんな人たちに出会えた実感)が、
この閉塞した生活空間に生きてる自分にはすごい「救い」に思えます。

18年ぶりに同じ町の同じ地点に立った、なんてこともあったりしたんですが(その写真は省略)、
「この地点に、さらにもう1回立つことはできないかもなあ」と思いながら、
別に観光地でも消費の対象でもない、ごくごく普通のアントファガスタの夕方の風景を目に焼き付けました。

Ocaso(1512-8-020014)

Ocaso y Puerto(1512-8-020012)

===
あーなんか長々結論なくてすいません!
熊本の話と後段は、普通は別記事として書くべきなんだけど、
今日はこのテンションのまま一気に走ってしまいました!

あーやっぱ闇に向かってブログ書くのは最高だー!終わります〜!
posted by calicia at 05:28| 空間的彷徨−九州− | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする